全国指名手配され、全国を転々としながら15年間にわたり逃亡生活を送っていた福田和子受刑者。
そんな福田受刑者が一番長く潜伏し、働いていた和菓子屋『松村松栄堂』が閉店していることが判明しました。
そこで今回は“松村松栄堂“の閉店理由は福田和子が原因?どこにある?その後は?と題しリサーチしたのでご紹介します。
和菓子屋“松村松栄堂“の閉店理由は福田和子が原因?
和菓子屋『松村松栄堂』の閉店の理由が福田和子受刑者が原因なのでは?という声もありますが関係はないようです。
ここで働くきっかけは、その松村松栄堂で働く前に働いていた石川県金沢市のスナックである男性と出会ったことがっきっかけです。
その男性というのが、松村松栄堂の店主で、その店主に福田受刑者は見初められ同棲することに。
そしてお店も手伝うという流れです。
店主は福田受刑者に結婚を申し込みましたが、正体がバレるのを恐れた福田受刑者が結婚を断り続け
それを不審に思われ通報され、さらに甥と装っていた福田受刑者の息子の荷物を調べれ
運転免許証を見らればれたという流れです。
理由はあきらかになっていませんが、福田受刑者が潜伏していたとしても
このお店には罪はないですし、福田受刑者が逮捕された後20年以上お店は続いていたので
閉店理由に福田受刑者の潜伏は関係ないでしょう。
和菓子屋“松村松栄堂“はどこにある?
そんな福田受刑者が働いていた和菓子屋『松村松栄堂』の住所は石川県能美市大成町102です。
営業していた時の写真はこちら
店内はとてもきれいで、普通の和菓子屋さんですね!
そう思うと、福田受刑者はとても貢献していたのですね。
松井秀喜さんによると福田受刑者は
とても優しく綺麗なおばさんという印象だった
ということです。
福田受刑者は7つの顔を持つ女といわれていますので、優しいおばさんを演じていたのでしょうか…
和菓子屋“松村松栄堂“のその後は?
和菓子屋『松村松栄堂』ですが、閉店した現在も建物がそのまま残っています。
赤飯や小室饅頭が人気だったようで、閉店を惜しむ声も見られました!
ファンも多くいた和菓子屋さん、閉店は悲しいですよね…
まとめ
今回は“松村松栄堂“の閉店理由は福田和子が原因?どこにある?その後は?についてご紹介しました。
福田受刑者が3年間働いていた石川県能美市にある『松村松栄堂』ですが2018年に閉店。
しかしその理由は福田受刑者が原因ではないようです。
むしろ福田受刑者は貢献していたようですね…
最後までお読みいただきありがとうございました。
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